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言いたい放題で良いんじゃない? [闘わなきゃ、現実と]

俺は常に本音を前面に出している。
思っていることが、顔に全部出るから、隠しようがない。

本音をだすことで軋轢が生じる場合もある。
でも、それは仕方がないと思う。
本音を隠すことで成り立つ関係が崩れるのは時間の問題だ。
結局は、軋轢が先か後かの問題に過ぎない。
だったら、先に済ませた方が、よけいなストレスが無くて済む。

言いたい放題だと、敵もできるけど、理解者もできる。
本音を出さなければ、自分を理解をしてもらえるはずがない。
自分の本音に共鳴してくれた人間は、とても貴重だ。
そういう関係を築くことによって、人生は豊かになる。

本音を抑圧して周囲に迎合するのは愚の骨頂だ。
ウマが合わない人間の機嫌をとるために、
ウマが合う人間を遠ざけてしまうのだから。

「嫌われたらこの世の終わり」みたいに思っている人もいるけど、
嫌われたって別にどうって事無い。
むしろ、誰からも嫌われていない人生の方がやばい。

自分の足で進んでいれば、追い風もあれば向かい風もある。
風の吹くまま流されていれば、追い風も向かい風もない。


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戦う平和主義者 [闘わなきゃ、現実と]

俺は基本的に好戦的ではない。
避けられる戦いは避ける。
このブログでは読み手に不快感を与えることを恐れずに書くけれど、
余所のサイトに喧嘩を売りに行くことはない。
基本的に面倒くさいことが嫌いなのだ。

しかしながら、戦わずに平和が得られるほど人生は甘くない。
俺のささやかな平和はいとも簡単に蹂躙されてしまう。
俺は誰かを傷つけるためではなく、自分の平和を守るために戦ってきた。
自分の平和のために戦い続けて、ようやく平和を手に入れた。
平和を手に入れたら終わりではない。
平和を手に入れた瞬間から、平和を守るために戦わなければならない。

みんなが他人の平和を尊重する社会に産まれ育っていれば、
戦いなど不要なのかもしれない。
でも、俺の現実はそんなに甘っちょろくない。
俺が摩擦を避けて周囲に迎合していたら、確実に神経症になっていただろう。
理想をもつのはとても重要なことだが、
理想と現実が違う場合に、現実逃避をすべきではない。

戦場に産まれてしまった人間にとって、生きることは戦いなのだ。
戦場で戦いを放棄することは、自分を見捨てることだ。
自分を見捨てた人間には、生きている実感が欠如しているという特徴がある。
きっと、自分を見捨てた時点で、心が死んでしまうのだろう。

あなたは、生きてますか?


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身勝手でなければ正しく生きられない [闘わなきゃ、現実と]

俺は、犠牲を払ってでも、自分が正しいと思う道を進む。
きれい事で生きていれば、その場しのぎで生きている奴らと必ずぶつかる。
妥協点は無い。というか、はなから妥協する気はない。
だから、立ちふさがるやつは、まとめてなぎ倒す。
それぐらいの覚悟がなければ、きれい事で生きていくことはできない。

身勝手というと、甘やかされたお子様のイメージが浮かぶかもしれない。
俺には、甘やかされたお子様よりも、自分の方が真の意味で身勝手だという自負がある。
甘やかされた人間は弱いから、他人に依存する。
お子様は視野が狭いから、他人の都合を考える能力がない。
甘やかされたお子様には、他人に迷惑をかけないという選択肢がない。
そして、甘やかされたお子様ほど、自分は身勝手でないと思っている。

俺は、自分の行動によって、誰がどう困るかを知っている。
また、ずるずると妥協するという選択肢が存在することも知っている。
それを理解した上で、あえて身勝手であることを選択している。
自分が正しくありたいというのは、俺個人の勝手な都合だ。
その個人的欲求を満たすために身勝手であることを確信犯的に選択している。

だから、面と向かって、「おまえが身勝手だ」と指摘されても、
「おまえは人間だ!」と言われるのと同じような印象だ。
何をいまさら、と思うだけ。


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挑戦者に無駄な失敗はない [闘わなきゃ、現実と]

ただほど高いものはないというように、すべてのものに何らかの代償がある。
高い代償を払って、手に入れたものが、必ずしも良いものとは限らない。
念願のものを手に入れて喜ぶのもつかの間、すぐに大航海時代に突入したりする。
しかし、その無駄遣いは全くの無駄な訳ではない。
自分にそれが必要ないと知ることも重要なのだ。
無駄がわかれば、消去法的に必要なものが見えてくる。

不要なものに高い犠牲を払ってしまった場合、次の二つを肝に銘じよう。
同じような不要物を二度と買わないこと。
消去法的に残ったものをより大切にすること。

賢明な人間は、必要なものを手に入れて、不要なものには手を出さない。
残念なことに最初から賢明な人間はいない。

挑戦する人間は、必要そうに見えるものは手当たり次第に手を伸ばし、経験から学ぶ。
おいしそうな果実があったら、それをまず食べてみる。
まずかったり、腹をこわしたら、もう食べない。おいしかったら、また食べる。
それを繰り返して、自分に必要なものを掘り当てていく。
その過程で、いろいろと鼻がきくようになり無駄な挑戦は減るだろう。
挑戦は賢明さを高めるためには不可欠だ。
十分賢明になって、冒険が不要になる日まで、挑戦は続く。
たぶん、生きている限り、挑戦は続く。
生きること自体が挑戦なのだろう。

臆病な人間は、リスクを恐れて何にも手を出さない。
そして、心の中で、あれも欲しい、これも欲しいと思う。
満たされぬ欲望が充満し、欲求不満になる。
臆病者は何が自分に必要かを知らない。
だから、勇気を振り絞って何かをしても、的はずれなことしかできない。
臆病者は失敗は少ないかもしれないが、成功はできない。
臆病な人間は、年をとるほど保守的になり、賢明さから遠ざかっていく。

豊かな人生を送る秘訣は、失敗を避けることではなく、失敗を恐れないことだ。
不戦敗はその時点で終わりだけど、戦って破れた人間には敗者復活の機会がある。
俺は自分に必要なものを知るために、挑戦と失敗を繰り返す。
結果として、一通りは失敗をすることになるだろう。
でも、それは賢明な人間になるためには通過すべき過程なのだ。


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失敗、失敗、また失敗 [闘わなきゃ、現実と]

失敗から逃げてはいけない。
無理矢理に自己正当化をしてはならない。
失敗から目をそらせば、たちまち二次災害、三次災害だ。
失敗を失敗と受け入れた上で、
自分を責めながら前に進んでいくしかない。
思慮分別を高めるために失敗は不可欠。
バカはバカなりに、昨日よりはマシなバカになりたい。
同じ失敗は2度としないと心に誓い、
今から、自分に出来ることをやる。
残念ながら、それ以外に出来ることは無いのだよ。


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良い人ではなく、正しい人を目指せ [闘わなきゃ、現実と]

良い人かどうかは他人が決めることだ。
他人の意見は自分ではどうにもならん。
自分の努力でどうにもならんものを目標にすべきではない。

俺は良い人になろうとは思わない。
その代わり、正しい人であることに徹底的にこだわりたい。
もちろん、何が正しいかという絶対的な基準はない。
だから、自問自答しつつ、そのときに自分が正解だと思う道を進む。
その道が誤りだとわかったら、素早く軌道修正をする。
それを繰り返すしかない。
正しく生きようと努力しても、結果として誤りばかりの人生だろう。
それでよいのだ。生きると言うことは、過ちを犯すということだから。
しかし、自分は精一杯正しく生きようと努力したという誇りは残る。
この誇りがあるから、俺は自分を保つことが出来る。

他人なんていくらだってごまかせる。でも自分はごまかせない。
だから、自分で自分を認められることが何よりも大切なのだ。
そして、正しく生きようと努力をしていれば、わかる人はわかってくれる。
わからない人には、どうせわからないのだから、それで充分だ。


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どれだけウンコをすれば充分なのか? [闘わなきゃ、現実と]

どれだけ苦しめば充分なのか?
どれだけ悩めば充分なのか?
どれだけ寂しい思いをすれば充分なのか?
どれだけ嫌われれば充分なのか?
どれだけ人を傷つければ充分なのか?

こういった問いかけをする奴に言いたい。
「お前は、どれだけウンコをすれば充分なのか?」、と。

人は生きている限り、ウンコをする。
「もう充分ウンコをしたから、明日からウンコはしません」
という風にはならない。

それと同じように、生きると言うことは
苦しくて、悩ましくて、恥ずかしくて、空しくて、寂しい。
憎しみ、嫌悪、争い、傷つけ、傷つけられることを避けられない。

「どれだけ、×××をすれば充分なのか?」という問いは、
「どれだけウンコをすれば充分なのか?」と同じぐらいナンセンスだ。

厄介ごとから逃れようと思ったら、死ぬしかない。
厄介ごとを恐れる人は、
「波風を立てないように、目立たないように」と息を潜めて下を向いて暮らす。
それで生きていると言えるのだろうか?
それは早い死ではないか?
熊を恐れて、死んだふりを一生続けて、そのまま死んでいくようなものだ。
お前は、死んだふりをするために産まれてきたのか?
ちがうだろう。


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「前向き」という名の現実逃避 [闘わなきゃ、現実と]

前向きな姿勢は、回避系と解決系の2つに分類できる。

回避系ポジティブ
自称ポジティブ人間の得意技は、
● 都合の悪いことを見ないこと
● 都合の悪いことを頭の中から消去すること
● 疑問を持たないことで、気楽に生きる
これは、思考停止をして、ネガティブな現実から逃避しているだけ。
自分は前向きのつもりなのかもしれないが、こんな後ろ向きな生き方って無いよな。
否認(denial)という稚拙な心理防御を多用している危険な状態で、
その末路は回避性人格障害という心の病気だ。

解決系ポジティブ
都合が悪いことこそ、しっかりと見つめて対策をとるべきだ。
考えないことで解決する問題はない。
都合の悪いことを把握して、充分な対策を練り、
これらを織り込み済みで将来に希望を持つこと。
都合の悪いことから逃げるのではなく、
勇気と希望を持って立ち向かうのが前向きなのだ。



ポジティブを売りにする人間は、たいてい回避系ポジティブなんだな。
特有の落ち着きの無さ。目線がさだまらない。
地に足がついていない。言葉に重みがない。
わかる人が見れば、その本質が逃避であることは一目瞭然だ。

迷うことから逃げてはいけない。
迷って、迷って、迷い抜くこと。
若輩者にありがちな勘違いは、迷えば答えがでるというものだ。
いくら迷っても、白黒つくことはない。答えなんか無いのだ。
しかし、迷い続けることで、より深いレベルで迷えるようになる。
迷いをなくすことではなく、
迷いのレベルを上げることが、人間としての成長だろう。

俺はこれからも迷い続けるのだが、
願わくは明日の迷いは、今日の迷いよりも深いレベルでありますように。


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「本当の自分探し」という逃避 [闘わなきゃ、現実と]

自分って、外に探しに行くものなのか?
違うだろ。

ほぼ全ての人間は、ありふれた存在だ。
自分が存在しなくても世界に影響はない。代わりはいくらでもいる。
このちんけな存在が、自分の全てであると思うと、
わびしくて、切なくて、やりきれなくて、頭がくらくらする。
だから、「これは仮の姿で、どこかに本当の自分がいるはずだ」と妄想する。
つまらない自分を否定するために、
想像上の素晴らしい自分を捜しに旅に出る。

自分を見つけたいなら鏡を見ればことたりる。
鏡に映ったちっぽけな取るに足りない人間が自分。
すぐに、見つかる。
ありのままの自分がどんなに惨めでも悲観することはない。
そこはスタート地点に過ぎないのだから。
時間をかけて、今は世界のどこにも存在しない理想の自分に近づいていけばよい。
自分の小ささを受け入れるところから、全ては始まる。

「本当の自分探し」と称して、「認めたくないありのままの自分」から逃げるのは、
スタート地点にすら立てずに、レースを投げる負け犬だ。
戦いもせずに逃げ出した人間には、不戦敗以外の結果はない。


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日本男児の男らしさを信用するな [闘わなきゃ、現実と]

次の文章は夏目漱石の坊ちゃんの冒頭だ。

小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰(こし)を抜(ぬ)かした事がある。なぜそんな無闇(むやみ)をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談(じょうだん)に、いくら威張(いば)っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃(はや)したからである。小使(こづかい)に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼(め)をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴(やつ)があるかと云(い)ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。

作者は、坊ちゃんのことを、単細胞だが気持ちがまっすぐな快男児として書いたつもりだろう。
でも、俺はこの坊ちゃんという男が大嫌いだ。
坊ちゃんは、勇敢だから2階から飛んだのではない。
坊ちゃんは、臆病者であるが故に、臆病者と呼ばれることを恐れて、
無我夢中で2階から飛んだのだ。
他人の評価ばかり気にしている臆病者が、必死で勇気を振り絞っている。
そして、本人はそれが自分の強さだと勘違いして、自己陶酔している。
こういうバカには付ける薬がない。

坊ちゃんと対照的なのが、劉邦を支えて漢を築いた天才軍師の韓信だ。
韓信は、若い頃、ちんぴらから「またをくぐれ」と絡まれて、
抵抗をせずにまたをくぐる辱めをうけた。
「またくぐりの韓信」とバカにされても、どこ吹く風で飄々としていたという。
その後の活躍からわかるように、韓信に勇気が無かったわけではなく、
無用ないざこざを避けたのだ。

弱虫とからかわれて二階から飛び降りてけがをした坊ちゃんと、
またをくぐった韓信のどちらが本当に強いかは明白だ。
韓信と比べてみると、坊ちゃんの器の小ささがよくわかる。
坊ちゃんのは本当の勇気ではなく、臆病者の強がりだ。
坊ちゃんは、人の眼を気にしてびくびくしている小心者だ。

俺は、坊ちゃんに代表されるような、日本男児の男らしさとやらが気にくわない。
日本男児は、他人の目を気にしている小心者に見えて仕方がない。
「日本男児たるもの辱めを受けるぐらいなら死んだほうがまし」って、アホすぎ。
他人から見下されたからと言って、別にどうってこと無いだろう。
他人というのは、表面的だけを見て適当な評価をするものだ。
そんぐらいのことで、いちいち死んでたら命がいくつあっても足りやしない。
他人の評価に、グジグジとこだわるのが男らしさなら、そんなもの要らない。
他人の目など気にせずに、自分と自分が愛する者をしたたかに守るのが、
本当の男らしさだと思う。

そんな男に私はなりたい。


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