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すぐに許そうとする奴を信用するな [信じる者は救われない]

すぐに許そうとする人間ほど、過去のことを根に持つ傾向がある。
そして許したはずのことを蒸し返して、キレたり、復讐したりする。
許そうとすればするほど、逆に執念深くなるという逆理。
これはいったい、どういうわけなのだろう?

世の中では、許すことの重要性ばかり強調されているので、
ほとんどの人は許すことは無条件に良いことだと信じている。
だから、その限界・短所・欺瞞に気づかない。
「許すこと」は、本当に良いことなのだろうか?
許すというのは無意識に行うことであって、
「許そうと思って、許すこと」は百害あって一利なしだと思う。

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自分の能力に妥当な線引きができる人間を信用しろ [信じる者は救われない]

失敗を避けて勝負をしない卑怯者は、私には何もできませんと言う。
失敗を認める勇気がない臆病者は、私にできないことはありませんと言う。
これらは信用に足りない人間であり、教育に値しない。

過去の実績に基づいて、自分に何ができて、
何ができないかの線引きができることが、信用できる人間の条件だ。
妥当な線引きができるということは、過去に一通りの挑戦をしていて、
かつ、その結果をちゃんと把握していると言うことだ。
失敗を恐れずに挑戦をして、その結果を認める勇気がある証拠だ。

さらに、現状を客観的に認識した上で、
現在の線引きを上方修正するための努力をしていれば完璧だ。
こういう人間は、必ず、打てば響くので、優先的に経験を積ませたい。
また、多少能力が低くても、教育で引き上げることができるので、
俺は惜しみなく時間を使って、自分の知識と経験を伝えるだろう。

俺の座右の銘は、
「朽ち木は彫るべからず。糞土の壁は塗るべからず。」だ。
昼間から女の寝室に入り浸っている弟子を見て、孔子が言った言葉。
「教育に値しない人間に教育を施そうとするのは、ぼろぼろの朽ち木に彫り物をしたり、
クソで塗り固めたぼろぼろの壁を修繕するような無駄な努力だ。」という意味。


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自称ダメ人間を信用するな [信じる者は救われない]

「私は能力が低いから、できません」と最初に言う人間は、そもそも努力をする気がない。
「私はバカだから、わかりません」と最初に言う人間は、そもそも理解しようという気がない。
能力が低いのではなく、やる気が無いのだ。
やる気の無さを能力のせいにして、楽に生きようとするからクズなのだ。

こいつらは、人生は減点方式だと思っている。
だから、減点を避けるために勝負自体を避ける。
下を向いて黙っていることで責任回避。
この手の人間の得意技は、責任転嫁だ。
自発的な行動をしないから、悪いのは全部他人のせい。
自分の手は汚さずに、常に他人を責める。
そして、弱者の仮面をかぶり、楽に生きようとする。
本当に自分の能力にコンプレックスを持っている人間ほど、強がるものだ。
能力が低いと吹聴して回るのは、狡い怠け者。
自信満々なバカと違って、かわいげがない。

こいつらは、新しいことに何一つチャレンジしない。
だから、いつまで経っても新人と同じようなレベルにいる。
そして、ちゃっかりと、いつまでも新人扱いしてもらおうとする。
新人は、仕事の内容を覚えるために期間限定で負担を軽くしてある。
仕事の内容を覚えなければ、その期間が延長されるという考えは甘すぎる。
確かに、仕事を覚えない奴には、仕事を任せることはできない。
だから、そんなお荷物は切り捨てるしかない。

俺は自己評価が低い謙虚な人間を一切相手にしない。
親切心を出してアドバイスをしようものなら、
「あのときお前がああ言ったのだから」と責任転嫁され、
下手をすると、クレーマーに豹変するからだ。
生暖かく放置して、折を見て、切り捨てれば良い。
このご時世では、不要な人間は淘汰されてもしょうがない。

何もしないことが最も賢いと思っている若者は多い。
それは日本の受け身教育で管理された人間のなれの果てだろう。
学校の先生は、生徒を楽して管理することばかりを考えている。
だから、発言をしない、いるかいないのかわからない生徒は大歓迎だ。
学校では下を向いて黙って退屈な授業を聴いていれば良いかもしれない。
しかし、社会は加点方式で動いており、その戦略は通用しない。
白紙回答は零点であり、主体性を発揮しない人間の評価はゼロだ。

本当に日本の学校教育はクソだ。
くだらない知識を詰め込む代わりに、最も必要な主体性を腐らせてしまう。
だから、つぶしのきかない、教育をする価値のない人間が量産される。
今の義務教育なら、無い方が世の中のためだろう。


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根拠無く自信満々な人間を信用するな [信じる者は救われない]

できるかできないか、やってみないとわからないことが多い。
明らかに、できそうもないことを「楽勝です」と安請け合いする奴がいる。
本当にできる奴もごく少数ながら存在するが、大抵は口だけだ。

大口をたたく人間は、自分の限界を理解していないだけ。
「絶対に」とか、「~以外の何者でもない」とか、
そういった言葉を多用する人間ほど当てにならない。
言っていることではなく、やっていることを見れば一目瞭然だ。

この手の人間の自己評価の高さは、失敗を認識できないという致命的な欠点に由来する。
失敗を認識できない以上、失敗から学習することもできない。
だから、いつまで経っても同じ失敗を繰り返す。
失敗と向き合う勇気を失ったら、そこで成長は終わりだ。

自信満々人間の自信は、虚勢に過ぎない。
彼らは、本当は弱い人間で、失敗と向き合う勇気がない。
だから、失敗を見て見ぬふりをする。
心の中では失敗だらけの人生であることを知っている。
少しでも疑問を持ったら、自分の自信が揺らぐことを知っている。
だから、彼らは「それぐらい楽勝ですよ」と即答する。
自分に思考の時間を与えないために。

自信満々人間は、失敗に向き合えない逃避人間の哀れな末路だ。


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すぐに謝罪する奴を信用するな [信じる者は救われない]

怒られたら自動的に謝るやつって、何考えてるんだろうな。
とにかく謝っておけば良いだろうという態度には虫ずが走る。
相手の人間性に対するリスペクトというか、真剣さというか、
誠意というか、そういったものが根本的に欠けてる。

「ごめんなさい」と言われたから、「何で謝っているか」と質問してみると、
「なんかよくわからないけど、怒ってるみたいだから」と答えられた日には、
「こいつはダメだな。人間とみなすのは止めよう」と心底思う。

何が悪かったかもわかってないくせに、
何で怒ってるかもわかってないくせに、
誰かが怒っているからって、謝るな。
悪いと思っていないのに謝るな。

何で怒っているかを理解するのが先だろう。
基本的に、その理由を伝えるのは、怒っている側の役目だ。

相手が怒っているなら、まず、なぜ怒っているかを聞く
本当に自分に非があるかをよく考える。
自分に非がないと思えば反論するし、
非があれば、謝罪だけでなく、改善案を示さないといけない。

「よくわからないけど、怒ってるからごめんなさいしておこう」という人間は、
単なるその場しのぎで、相手を理解するつもりがない。
子供が泣いているから、あめ玉を渡しておこう、というレベル。

ごめんなさいを安売りする奴に限って、謝ることは大人の処世術だと思っている。
理由もわからず謝罪をするのは、コミュニケーションの放棄、相手の人間性の否定にすぎない。
こんな処世術では、表面を取り繕うような関係しか築けないだろう。


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ちょっといい話を信用するな [信じる者は救われない]

テレビも新聞もネットもお涙頂戴話であふれている。
親孝行の美徳や、目立たない努力の大切さ、など、など。
ワンパターンな人情話を飽きもせず書けるものだ。

ちょっと良い話は簡単に作ることができる。
真実はつねに良い面と悪い面があるのだが、
それを善意の色眼鏡で見れば良いのだ。
悪い面を上手く隠せば、ちょっといい話のできあがりだ。
ちょっといい話を押しつけるメディアは、
綺麗な面を並べてイチゴを売る八百屋のようなものだ。
面の裏はどうなっているか。そこが問題なのに。
ちょっといい話に無条件で感動できる人は
innocentな良い人なのかもしれないが、
知性・想像力・現実を見る勇気が足りない。

どうでも良いが、俺はso-netのnice!というのが、
いい話を書くことを暗に期待されているような気がしてならない。
俺はnice!な文章より、real!でouch!な文章を書きたいんだけど・・・
価値観の押しつけをする前に、サーバーを増強して欲しいものだ。


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自己犠牲が大好きな良い人を信用するな [信じる者は救われない]

他人を大切にできるのは、エゴイストのみだ。
自己愛に根ざしていない愛はすべて欺瞞に過ぎない。

自己犠牲の尊さを声高に言う人間は、
周りから良い人だと思われたいだけの、矮小なエゴイストだ。
「私っていい人でしょ。褒めて、褒めてよ」という底の浅さが丸見えだ。
利己的というレッテルを貼られることを恐れているだけで、
他人の幸福を願ってはいない。
だから、必ず他人にも犠牲を強要する。

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キセルする人間を信用するな [信じる者は救われない]

絶対にばれない悪事をするかどうかは、
その人の人間性を判断する踏み絵になる。

社会的な身分も高く、収入も保証されている人が、
「定期券を使ったキセルで20円節約した」と、
自慢げに話すのを聞いたことがある。
そのせこさに唖然としたのだが、
本人は得をしたぐらいに思っているらしい。
キセルをしないやつは馬鹿だ、ぐらいに思っている。
せこい悪事を働く人は、自分の価値を他人の評価で判断する。
だから、他人にばれないなら、不正も悪ではない。

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「疑わないこと」と「信じること」は違う [信じる者は救われない]

信じることと疑わないことが同じだと思っている人が多い。
でも、この2つは根本的に違う。

清原を起用したコーヒーの宣伝のキャッチコピーが
「自分を疑うな」で、思わず笑ってしまった。

清原に必要なのは、自分を疑うことだろう。
清原は非凡な素質をもちながら、平凡な成績しか残せなかった。
20代から、「俺はこれで良いんだろうか」という疑問をもっていたら、
今頃はどんな成績を残しているかわからない。
もう手遅れだけど。
清原とは反対に、常に自分に疑問を投げかけるのが、イチローだ。
自分の現実を客観的に把握した上で、努力をした結果として、
自信と結果が付いてくる。

疑わないって言うのは、現実を見ないで肯定することだ。
厳しい現実と向き合わないで「俺は出来る!」と
根拠無く信じることは、現実逃避に過ぎない。
疑わないことで手に入れることが出来る自信は、
努力をせずに一攫千金を夢見る人々の根拠無い自信に過ぎない。
人間関係でも、相手を疑わないというのは良くない。
悪い面から目をつぶれば、真の相手ではなく、
自分の妄想した相手を見ることになる。

悪い面も含めて相手を受け入れるのが真の人間関係だろう。
疑いを持つことが悪いと思う人は、人間を信用していない。
彼らの意見は、「疑いを持つと、人を信じられなくなるから、疑うな」ということだ。
つまり、現実逃避をしないと人を信じられない、極端な人間不信なんだな。
自分に対して疑問を持つことを否定する人間は、
疑われるとまずいから、疑うこと自体を禁じているのだろう。

真の自信や信頼とは、疑問を検証した後に芽生えるものである。
だから、俺は自分の良いところしか見ないような人間を信用しない。
問題点を適切に批判をしてくれる人こそ信頼すべきなのだ。


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