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批判に答える その1 [疵痕]

ここへの返事です。

>正しく、蛙の子はカエル!
これはその通り。本当にそうなんだよ。
だから苦労してるんだってば。

親が依存症だと、自分も依存症になる。
依存症的な愛され方しかしていないから、
依存症的な愛し方をしてしまう。
特に問題なのは、愛情の形を一つしか知らなくて、
それが素晴らしいものだと信じているときに、
自分の愛し方を疑うのは難しいと言うこと。
俺は、自分には他人を愛する能力が無いと思っていた。
でも、依存症とは縁遠い妻と出会って、
自分の方法が根本的に間違えていることに気づいた。
そして、今まで慣れ親しんだやり方を変えたら、
かなり上手くいくことがわかった。
これは、俺にとっては、人生がひっくり返るような大発見だった。
俺が愛と呼んでいたものは、全部、間違いだった訳だ。
この知識を俺の過去の相方であった尽くす女達にも教えたいと思った。
これが、俺が尽くす女に延々とメッセージを送り続ける理由。

自分が親になったとき、自分が本能のままに子育てをすると、
子供を依存症にする危険があると思った。
だから、子育てにおいては妻にイニシアチブを取らせつつ、
家事などで、妻を支えるのが良いと思った。
俺が子育てにできる最大の貢献は、妻の状態を良く保つこと。
それは、自分なりには実践できていると思う。

あと、自分の生き方を変える必要があるとも思った。
自分が依存症的な生き方をしていたら、子供は必ず背中から学んでしまう。
そこでの最大の障害は実家だった。
実家は、まさに依存症の巣窟で、家族ではなく家族ごっこだ。
俺は、家族全員が本音を出せて、それが等しく尊重される。
そんな家庭を作ろうと思っている。
一方、実家では誰も本音を出さない。
本音を出さないことで、憎み合いながらもなんとか均衡が保たれている。

自分の家庭が理想に近づくほど、実家が苦痛になった。
本音コミュニケーションの良さを知れば知るほど、
実家の欺瞞関係がつらくなった。
本音を抑圧するというのは、かくもストレスがたまるものかと驚いた。
自分が20年以上、よくここで生活してきたものだと思った。
まあ、依存症的な関係が苦痛になったといっても、それは慣れ親しんだものだ。
そのこと自体は、我慢できないことはない。
でも、自分を捨てて家族に迎合する父親の背中を子供には見せたくなかった。
子供には、自分のマイナスになると思ったら親など捨てて欲しい。
だったら、自分がちゃんとマイナスになる親を捨てないとダメなのだ。
子供が学ぶのは、親の言葉ではなく、親の背中なのだ。
今回、両親との断絶に結びつくような対決をした背景には、
実家との関係を続けながら、子育ては出来ないという切迫した事情があった。

うちの家系では、子供は常に親の顔色を見て育った。
大人になっても、自分の子供よりも自分の親ばかりをみていた。
そうすると、必然的に子供は親の顔色を見るようになる。
無関心によって、子供を縛る悪循環だ。
だから、俺は親から背を向けないといけない。
さもないと、子供が俺の顔色を見るようになる。

依存症なりに精一杯愛してくれた両親には深く感謝をしている。
彼らは良くやったとおもう。
両親なりに愛してくれたから、俺は非依存的な関係へと飛び出せた。
でも、その結果として、両親との断絶を余儀なくされた。
これは悲しいけれど、仕方がない。

一流の音楽家を作るのは三代かかるという。
音楽家を育てるには、それなりの環境が必要で、
その環境を整えるだけで2代はかかるのだ。
依存症を脱するにも3代はかかるとおもう。
両親は、俺に自分が依存症であることを自覚させた。
俺が両親を捨てて、子供の方を向くことで、
子供は親に縛られなくなる。

蛙の子はカエルというのは冷酷な真実だ。
俺がカエルなのは、もう確定事項で、仕方がない。
でも、俺は自分の子はカエルにしたくない。
だからこそ、両親ときちんと断絶する必要があった。
それが対決の核心。

>あれだけ息巻いていた対決とやらの意味って何?
>あんな茶番劇、まったく笑わせる。冗談じゃないって感じ・・・
>一体、何がしたいんだか?
に対する回答はここまで。


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