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男は、鈍くて、忘れっぽいから良いのだよ [家庭論]

男というのは、鈍くて、忘れっぽい生き物である。
俺も鈍感で物忘れが激しいために、妻からはよく呆れられるのだが、
鈍感さと物忘れも上手く使うと役に立つことに気がついた。

妻がカリカリしていると、それが子供にも伝播する。
子供がカリカリしていると、確実に妻に伝播する。
相手のイライラで自分がイライラし相手をさらにイライラさせる。
母子間でイライラが増幅される悪循環に陥ると
不毛な争いが勃発するのは時間の問題である。
一方、俺は妻や子供がカリカリしていても、
「なんか大変なんだなぁ」と思うだけで、
自分の精神状態に何ら支障を来さない。
だから、冷静に相手の話をきくことが出来る。
鈍感だからこそ、子供と妻の防波堤になり、家庭のストレスを緩和できる。

また、俺はとても忘れっぽい。
妻に何か言われて頭に来ても、
しばらくすると「そういえば頭に来てたけど、なんだっけ?」となってしまう。
持って生まれた忘れっぽさのおかげで、男はストレスが溜まりづらいのだ。
一方、女性は何でもため込む習性を持っている。
ストレスも、冷えも、ウンコも、律儀にため込んでとっておく生き物なのだ。
アルコール分解酵素が無い人間は酒を飲めないのと同じで、
ストレス分解能力が弱い女性はストレスに弱いと言える。
女性の溜める属性のおかげで、すぐに見えなかったとしても、
ストレスは確実に蓄積されてしまうのだ。

女性は周りの人間の感情に敏感であり、
周囲の人間の心理状態の影響を受けやすい
イライラした人間がそばにいると、持ち前の共感力で同じ心理状態になってしまう。
平常時には、女性はトランス能力によって、子供をより理解することが出来る。
しかし、子供が精神的に不安定になると、自分も不安定になってしまう。
男性は相手が感情的になっても、トランス状態にならない。
心理的に同化せずに、相手を肯定しながら向き合うことができる。
自分は自分、相手は相手、という線引きをした上で客観的に対処できるのだ。
子供が精神的に不安定なときは、男性が接した方が悪循環になりづらい。
普段は妻を立てつつ、いざというときは素早く出動するというのが、
最近の俺の育児スタイル。

相手の目線に立とうとする女性と、自分の目線から物事をみる男性では、
外界へのアプローチ方法が基本的に違う。
この違いを理解することが男女関係を豊かにしていく鍵だと思う。
男女の違いを理解できないでお互いを否定し合う男女は多い。
男の客観的なアプローチが理解できずに、
「どうせあなたには他人事なんでしょ!」と切れる女性は多い。
逆に、「女は感情的で、要領の得ない話しかできない」とうんざりする男性も多い。

敏感で何でもため込む女性と、鈍感で何でも忘れる男性。
この違いがあるから男女関係は面白いし、時間をかけて適材適所を探れるのだ。


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ゴミ箱だって重要な役割だ [家庭論]

妻はカリカリすれば誰にでも当たり散らす。
長男も次男も俺に八つ当たりをする。
全ての川が海に繋がっているように、
家庭のストレスは俺のところに来る仕組みになっている。

最近は、仕事が忙しくて、精神的に一杯一杯なのだけど、
他の家族はそんなことは知ったこっちゃ無いだろう。
だれも俺の精神状態など関心がないのだ。
俺のストレスは自分で何とかしないといけない。

家族のバランスを保つために皆に気を遣いつつも、
誰からも気にかけられていない。
冷静に考えると、とても損な役回りな気もしてくる。
この役割を誰かが果たさないといけない。
この家庭において、この役割が果たせるのは俺しかいない。
これは俺の義務であり、家庭において果たすべき責務なのだ。

どの家庭にもストレスのゴミ箱的な役割を果たす人間がいる。
水が低いところに流れるように、
一番弱い人間に何らかの形でストレスが流れている場合が多い。
俺はなんだかんだ言って、強い立場にある。
もし、俺が家族の誰かにストレスをはき出せば、
その誰かのところに溜まってしまう。
その事態だけは避けなくてはならない。

この家庭において、ゴミ箱の役割が果たせるのは俺しかいない。
家庭のストレスの出口は、大黒柱たる俺が果たすべき崇高な使命なのだ。
俺がこの役割を納得した上で、果たせるようになったのは、
結婚をして、子供が出来て数年してからだ。
そして、俺がこの役割を果たすことで、家庭が円滑に回るようになった。
俺が、うっかり誰かからのストレスを遮断すると、
ストレスが家庭内を循環して、皆のストレスレベルが上がってしまう。
俺の役割は実に重要なのだ。

自分が家庭を支えているという手応えを日々、実感している。
大切な人の役に立てるという充実感だけで、充分におつりが来る。
妻と子供の安らかな寝顔を見れば、今日の努力は報われて、明日もがんばれる。


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母親の資格 [親子論]

母親には2つのスタイルがある。
A)「良い母親はこういうもの」という社会通念に自分を近づける。
B)自らの本能の赴くままに、子供への愛情を表現する。

世間様から後ろ指を指されないように、良い母として振る舞う。
その行き着くところが、無私なる母といういびつな存在だ。
良い母親の行動を真似したところで、子供との心のつながりが無ければ良い母にはなれない。
せいぜい、何もわかっていない他人から、良い母だと思ってもらうのがせいぜいだ。
愛情は、心の内から自然と発する感情である。
子供への愛情が義務として課された時点で、母の愛は死んだのだ。

自らの最も内面からわき出しているものが愛情であって、
子供への愛は、親のエゴそのものなのである。
自分の心と向き合って生きてきた母親は、子供の心にも向き合うことができる。
母子の心の交流がある関係は後者の愛情でしか築けない。

母親には自発的に子供を愛する能力が備わっているが、
無私の母親から、自らの本音と向き合うことを禁じられて育った子供は、
内面の感情を見失い、自発的に愛する能力を失っている。
だから、かつて自分がされたのと同じ方法で子供の心を殺す。
機械的に、子供の生えそろったばかりの翼をもぐのだ。
育児において、母親は自らの心とどれだけ向き合ってきたかが問われる。

母親に必要なことは、自分の心の赴くままに、自分の方法で子供を愛することだ。
それができないなら、育児は地獄だろう。
親にとっても、子供にとっても。


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無私の母親という呪い [親子論]

無私の母親は、「無私でなくてはならない」というルールの奴隷であり、
無私であるべきという強迫観念に支配されたロボットである。
無私の母親の愛情は、ロボットのサービスであり、
血の通った人間としての愛情ではない。
このような母親は子供を愛していない。
無私であるべきという強制力に「いやいや」従っていて、内心では納得していない。
だから、無私の母親の内面は苦渋と不満に満ちている。
自分の人生を犠牲にした子供への憎しみで満ちている。
しかし、良き母であるべしという強迫観念に抑圧されて、子供への憎しみを認めようとはしない。
内面のやましさ故に、子供への愛情を大げさにしつこくアピールする。

無私の母はフォーマットにこだわる。
子供の気持ちよりも、むしろ、良い母のフォーマットにこだわる。
自分が愛情豊かな母親だと他人に認めてもらうことが重要なのだ。
無私の母親は、子供のためという大義名分があれば、
どんな非人道的なことでも子供に押しつけることができる。
心のつながりなど無いのだから、子供の心の痛みを感じることはない。
子供が痛みを訴えても、母親の愛情に対して痛みを感じる子供の心に問題があると考えて、
子供の罪悪感を刺激して、子供の感じ方を変えようとする。
自分は良い母である以上、悪いのは必ず子供の側でなくてはならないのだ。
親子関係が思い通りにならなかったら、子供の側が変わらなければならない。

無私の母は、自らの人生と子供の心を対価として「立派なお母さん」という評価を得るだろう。
その評価こそが、無私の母の人生における唯一の勲章なのだ。
しかし、勲章によって、無私の母親の心が満たされることはない。
それは、ロボットである無私の母の心が空っぽだからではある。
しかし、本人はそのことを認めずに、外部のせいにする。
「私は正しいことをしている。それなのに満たされないのは、夫と子供が悪い」
無私の母の心の中は、家族への不満や怨嗟に満ちている。

無私なる母のなれの果ては、内に怨念をため込んだロボットなのだ。
そして、内なる怨念は、ふとした瞬間に顔の表情に出てしまう。
本人は笑っているつもりでも、それは筋肉の運動にすぎない。
冷静な観察者は、笑顔の裏に恐ろしい般若の表情を見て取ることができる。

無私の母であるべしという強迫観念は、子供と自分を確実に不幸にする呪いである。
家庭にとって、無私の母親ほどの害悪はないだろう。


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無私の母という独裁者 [疵痕]

俺は相当に辛口な批評家で、言葉で他人を引き裂くのに躊躇も手加減もしない。
それは、俺の生育環境で自分の身を守るために必要なスキルであった。
戦場で生まれ育った人間は、引き金を引くのに躊躇をしないのと同じことだ。
母はそれほど口が達者ではないので、やがて子供に口では勝てなくなった。
正面から戦いを挑んでは分が悪いと悟った母は、
「かわいそうな無私の母」を演じることで、罪悪感で子供を支配した。
「おまえは、子供のために全てを犠牲にしてきたこの母にそんなことを言うのかい?」、と。
この作戦変更は効果的であり、母は引き続き有利な立場に立ち続けた。

裁く力関係が逆転した後も、両親は親という有利な立場に守られたままだった。
俺の裁きは、両親に対しては専守防衛であり、
彼らが自分の領土に土足で踏み込んできたときのみ効力を発揮した。
自分たちが不用意な戦を仕掛けない限り、両親は安全だったのだ。
そして、戦況が悪くなると、
父親は「誰のおかげで食べさせてもらっているんだ」と暴力をふるった。
母親は、子供の罪悪感を刺激するという、嫌らしい切り札を持っていた。
両親は、相変わらず子供を好き勝手にシメ続けた。

父の粗暴な支配と、母の陰湿な支配では、明らかに母の支配の方がたちが悪い。
父の粗暴な支配は、子供の目から見ても明らかに理不尽だから、
子供は父を憎むことができた。
父は、仕事人間で家にほとんどいなかったし、休日は家にいないようにしていたので、
土日の夕方以降さえ凌げばそれで良かった。
休日の父は、唯一無二の友達のテレビを見ながら、昼過ぎから酒を飲み始める。
笑点が終わる頃にはすっかりできあがり、家族に絡み始める。
この時間帯から、酔いつぶれて寝るまで、部屋にこもって存在感を消して凌げばよい。

幼児は母親に対して絶対の信頼と愛情を持っている。
その絶対性を維持するための道具として、罪悪感で縛る。
● 親は絶対的に偉くて理不尽なことをしても許される。
● 母は子供の犠牲になったかわいそうな存在である
この2点を物心が付く前にたたき込むことで、母は家庭の独裁者になった。
独裁者に逆らう人間は、容赦なく道徳的に糾弾された。
「おまえは子供のために全てを犠牲にしたこの母に心ない振る舞いをするのか?」
この罪悪感による支配は非常に効果的だった。
母は同情を引くための演技をするだけで、子供が自分で傷つくのだ。
虐待の後も残らないし、自分は善意のかわいそうな母でいることができる。
被害者である子供ですら、真の加害者を理解せずに、自分を責めるのだから完全犯罪だ。

これは日本の多くの家庭でおこなれている教育であり、日本の母の愛の本質なのだ。
日本中の多くの家庭で「かわいそうな無私の母」による独裁が今も行われている。
無私の母は、子供の罪悪感を刺激することで、子供をコントロールする。
罪悪感を刺激されすぎると、子供は心理的な自傷行為をするようになる。
症状が悪化していけば、実際に自傷をするようになるだろう。

罪悪感に苛まれながら、内なる目に監視されて、自分で自分を裁き続ける。
この構図に気づかない限り、独裁者が死んだとしても、支配をされたまま。
「子は親を疑うべからず」というルールをすり込まれていた場合、
子供が精神的に自由になるのは絶望的だ。


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裁かれる人から、裁く人へ [疵痕]

裁かれて育った人間の最大の不幸は、
当たり前のように他人を裁いてしまうことだ。

親子関係は、人間関係のベースになる。
どれだけ、憎んでいようと、嫌っていようと、
否応なしに、支配されてしまう。
表面的な行動では、親とは別の道を進んでいるつもりが、
裁くという行動原理は、しっかりとすり込まれていた。
両親とは、表現は違えども、
裁く人であるという根っこの部分で同じ穴の狢だった。

こうであるべきというスタンダードを相手に一方的に押しつけて、
相手がそこから外れるとストレスに感じる。
ストレスが臨海レベルに達すると、正義の刃で相手を容赦なく断罪する。
裁く人間は、当たり前のことを我慢したあげくに、
控えめに主張しているつもりでいる。
正義は自分の側にあると盲信しているが故に、手加減がないし、
相手の言い分を頭ごなしに否定することになる。

自分の正義を他人に強要する時点で、俺は間違えていた。
独りよがりの正義を捨てて、他人を裁くのを辞めない限り、
まともな人間関係が育つはずがない。


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裁かれて育った人間の末路 [疵痕]

俺も姉も、両親に受け入れられた記憶が無い。
両親は、常に親絶対的に強い立場から、一方的に、
子供を、監視し、裁き、罰する存在であった。
彼らは「子供のため」という大義名分の元、
子供のあら探しをして、シメ続けた。

子供には、自己弁護の機会は(強制的に)与えられた。
子供の言い分を聞くというのも、子供を理解するためではなく、
裁判が公正に行われているということを示すための儀式にすぎない。
裁判官と検察が同一人物なんだから、弁護人に勝ち目はない。
裁判が始まったら最後、被告人に有罪判決が出るのは確定的だ。
だから、裁判を起こされることを防がないといけない。
そのためには、親に弱みを見せないことだ。

物心ついたときから、何かを親に相談するという選択肢は無かった。
親が、親身になって、一緒に考えてくれるなどあり得ないことだ。
失敗がばれたら最後、鼻血も出なくなるまで裁かれて、有罪判決を言い渡される。
だから、困難な状況に陥ると、親に悟られないようにびくびくしながら、
一人で途方に暮れるのだった。

俺と同じように裁かれて育った人間には、独特の臭いがあり、すぐにわかる。
裁かれて育った人間に共通する特徴は次の通り。

  • 自己否定的であり、それを隠すために虚勢を張る。
  • 自己否定感を打ち消すために努力をするので、周りの評価は高い。
  • 他人に頼らないし、他人に弱みは見せない。
  • 自分の正義で、容赦なく他人を裁く

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